夢みる惑星

カルチャーをむさぼりながら空想で生きてる

”スウィート17モンスター”と十代以降の青春について

最近聞いているゴリラズです。今回のアルバム他曲(M2)もすごく好きです・・。

 

スウィート17モンスターを見ました。

敬愛なるコラムニスト、山崎まどかさんの”ここ五年のアメリカ学園映画で最高のヒロイン造形”という期待値爆上がりのコメントを見てから、ずっと楽しみにしていたのですが、先週ようやく渋谷のヒューマントラストにて見ました。映画は水曜に限ります。

自分を一番理解してくれる唯一無二の親友と大嫌いな”勝ち組”の兄が恋人関係になった女の子の話です。

原題は”The Edge of Seventeen”、まさに17歳の尖りをまざまざと見せつけられ、主人公・ネイディーンの感情の起伏の振れ幅に憧れすら抱きました。最高に口が悪く、自己中心なのに、わたしたちが彼女を心の底から”嫌な奴”だと思わないのは、自分のことは自分が一番よくわかってるから。わたしの十代にこんなに激しく”モンスター”であった記憶はないのに、なぜ感情移入できるのだろうと考えましたが、わたしも思うままに自分のことをよく話してた。本当の自分を理解して欲しがって主張し続けました。環境を見つめては、自分の幸せについての想像力ばかりが発達したものです。そうして、自己愛が爆発して、周りを小馬鹿にしたりしてたくせに、想像する自分と本当の自分のギャップに腹が立つ。自身に期待しては、その期待を超えられない自分を目の当たりにして認められずに苦しくなりますよね。

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これから先ずっとこんな自分と付き合っていくのは嫌だ、と嘆く主人公に、十代の恥ずかしい自分が思い出されて、頭を掻き毟りたくなりました。それはもう強く。

わたしはいつも(いまでもたまに)自分が面倒くさくて嫌になっていた。わたしは物事をなんでも難しくややこしく考えることが大の得意(人の発言に対して他意をやたらと勘ぐる、とか‥)で、周りはそんな自分にうんざりしているだろうと思っていたし、わたしもそんな自分にうんざりしていた。あっけらかんと素直に他人を認め、褒めたりできる人が羨ましくて、嫉妬した。

人をうらやましがれる人がうらやましかった。

みんなの素直はみんなにとって心地よくて、わたしの素直はみんなを不快させるんだ、と思っていた。

周りの人ができる普通のことができないかわいくない自分が嫌だった。

周りに多様性を認めてもらわないと、自分は認めてもらえる存在じゃないのに(いわゆるキラキラな勝ち組ではないという観点で)、人を認めることができなかった。人の幸せも自分の幸せも、欲しいくせして願えながったのだ。

 

高校生だった当時は、そんなことで頭がいっぱいだったのですが、いまになって客観的に思い返してみると、そんなにイタいことばかりじゃなかったし、ふつうに楽しかった思い出もじわじわ浮かんできていたし、自分が思っているほど嫌われ者では決してなかったし(あの"わたし、嫌われている‥"という思いが突然夜襲ってくるのってなんなんだったんだろうか)(しかもその夜の体感は永遠)、あの頃の劣等感による呪いはなんだったのだろう、と思います。

 

つまり何が言いたいかというと、この映画は誰しもが既視感があるし、特別なことは何も起こってない、十代と十代だった頃がある人全員の物語です。客観的に見れば普遍的であるが、初めて自分の力で突き進まんとする青春は、いびつさこそが美しい。わたしたちに潜んでいる、しかしずっと生き続ける十代のときのパワーを思い起こす映画です。そして、映画にもらったそんなティーン・パワーをリアルに還元するのが、十代以降のわたしたちの”生活”だと思います。自分にも他人にも、愛と受け入れる心を忘れてはいけないし、自分の力で自分の世界を変えることは十代じゃなくとも青春だと再認識した映画でした。

主人公のヘイリーの演技はぴったりでした!喋り方と表情が素晴らしく、拍手!なんでカメラの前であんな顔をすることが怖くないんだ・・すごい・・。やっぱり先生役のこともとても好きになってしまったので、青春映画鉄板の周りにいるいい大人という配役は重要!でも、この映画はどの役もすごく好きになってしまったように思います。また見たいです。

 

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