summertime blues
こんにちは!9月がやってきましたね。なんだか月一が定着してしまって悔しいです。もっと間隔空けずに更新してみなさんの日常に滑り込みたいです。
夏を取り戻したいわたしの気持ちをこの記事のタイトルにこめて。
summertime bluesって”夏の憂鬱”って意味らしく、歌詞もとっても青くて最高なので、興味がある方はぜひ検索お願いします。たまらんですよ!しかも、これはカバーらしく、エディ・コクランがオリジナルだとか。ロカビリー好きは、オリジナルがおすすめかも。
非常に夏に聞きたい曲をいまご紹介するあたりがもう。秋になりかけの残暑だからこそ、夏の憂鬱が綺麗に見えるということで、何卒…。
みゆさん、コメントありがとうございます!
ブックレットの紙のにおい・・・紙モノ好きのわたしからすれば、その表現にとってもうっとりしてしました。手元にある幸せ、その通りですね!その韓国のCDも、買う人はトレカやイベント券ばかりに目が行きがちですが、そのものを大切にじっくり味わう気持ちをもって欲しいと願ってしまいます。CDという媒体が使い捨て、券の付属品に成り下がってほしくはないものですね!
先日、夏休みが終わりました。
周りがちらほらと、就職活動を始めたり、成功させたりしています。
話を聞くことに損はないだろうと割と興味深々な自分に驚きつつ、言葉にしがたい寂しさが心に住み着いて離れません…。
高校進学のときも、専門学校進学のときも、そうだった。
いつも一緒にいるみんなが、わたしが寄り添えないみんなの未来を、淡々と、話すことがどうしようもなく、ただ寂しかったです。自分だってみんなとバラバラになる道を選ぶと決めた後なのに。バカだな。
行く道を定めたときは、いいかも!楽しみ!って期待を持って未来を見るのに、自分だけじゃなく周りも自分と同じように決めてるのだ、と気づき始めた頃には、漠然と”寂しい”それだけを思いました。なぜなら、周りもどこかへ進む準備をしているのか、と思うこと自体、それはもう、自分の取り巻く環境を、後ろを見るように振り返り始めているような気がしたから。みんなを思い出にする準備を整えている。自分が進む準備と同時に。
時間なんて、そんなの、止められないことは知っているし、別に止めたいわけじゃないし、この笑ってる毎日が永遠に続くなんて、最初からこの中の誰一人もが、思ってないし。永遠じゃないことを知りながら、笑い合ってるんだよな。何も考えてないような顔をして。みんな違う未来を思い描いてることに、見て見ぬフリして、みんなで時間の流れを受け止めるんだな。暴力的なほどに”共感”に価値を見出していたあの子も、褒められると恥じらいを持て余して怒り出すあの子も、綺麗な心を持っていて大好きだ。どの子の個性も受け入れた。変えようなんて少しも思わなかった。それがわたしの友人関係の誇りだった。それは、いまでも。
なんでも受け止めてもらえるのは学生時代だけの特権なのだということを、学生のわたしは知っている。
わたしは、思い出を省みない人を強いとは思わない。
みなさんも思い浮かぶ顔があれば嬉しいし、この記事を書いている意味があるのでは、と思います。
いつまでもここにいたいかって聞かれると、”そんなのわかんない”としか答えられない。それが学生でしょう。いたいわけじゃない。いたくないわけじゃない。この感覚とまだ、一緒に生きていきたいな。もうちょっとだけ忘れたくない。
悲しい気持ちになっても、少し考えれば浮かぶ馴染みのある顔たちとの、ちょっとした思い出で立ち向かえるのが、人生の仕組みだもん。人間の記憶処理能力に感謝するしかない!
でも、記憶ばっかり信じていてもこぼれ落ちてしまうこともあるから、少しずつ残していくインスタグラム・・・!
無条件に公開するのに渋っていたのですが、手間だろうとはずっと思っていて。メールをくださったみなさんの言葉が、嬉しくてありがたくてこんな素敵な文章を打つ方に読んでもらえてるなんて、、と感動していましたから、メール制度気に入っていたんですが、ついに解禁。みなさん、ぜひフォローしてくださいね!下の画像をクリック!